それは私が中学2年生の春、図書館で見かけた一冊の科学雑誌にアマチュア無線(ハム)の記事を見つけた
のがきっかけでした。自作の無線機で見知らぬ遠い国の人々と無線交信を楽しむという内容に大変興味を抱き
また、モールス信号で世界各国と交信するという内容にとても魅惑的・神秘的な世界を感じたことが昨日の
ことのように思い出されます。
それが私がアマチュア無線の世界を知る第一歩だった訳です。丁度13歳の春の多感な少年時代のことでした。
今ほど受験競争が激しくなかったとはいえ、勉強は二の次で無線工学、電波法規、モールスの練習、無線機
の自作、竹ざおアンテナの架設などに熱中し、高校入試の準備はお構いなしで、中学3年の秋には電話級ア
マチュア無線技士および電信級アマチュア無線技士の国家試験に合格しました。
今考えれば、親も大分心配してたことと思います。
(現在の私とシャック。電信がメインです)
(1963年開局当時.TX-88Aと高1中2受信機)
(中学生当時、モールスに熱中)
JA7BWVのコールサインで開局したのは中学生の時期でした。親にねだって購入した昔懐かしい
TX−88AとVFO−1が写真に写っていますね。HF帯で聞こえてくる電信音、これで言葉が交わされているとは!
と強い衝撃と感動を受け、電信の楽しさと一種独特で神秘的な世界へとはまっていったのでした。
とにかく、当時は時代も今よりはかなりのんびりしており、夜な夜な外国と交信を楽しみ
ヨーロッパの小さな国や町の名前などを友人に自慢げに聞かせたり、外国の交信相手のことなど
友達に話しては悦に入っておりました。
下の写真は私が中学2年生から取得した全てのアマチュア無線技士の資格免許
証です。当時は郵政大臣名による免許証で手帳形式のもので、今のカード式
下の写真はヨーロッパやインド、旧ソ連、中近東(イスラエル)等との交信証(QSLカード)です。
に比べ型式が異なりますね。
当時は、国試は4月と10月の年2回で1アマでは和文電信の送信・受信
があり、また筆記試験の無線工学は出題が5問だけで、記述式や証明問題が
出題され、今の択一式方式とは大分異なっておりましたね。
本当に熱中していた時代で世界の200地域位と交信しました。
「世界各国との交信証(QSLカード)」
アンテナ作りも写真のような大きなもの(キュビカルクワッド)を屋根の上まであげて、近所からも特異
な目で見られていたのでしょう。それにしてもこの手作りアンテナは世界の6大陸へ実によく電波が飛びました。
(記憶では、タニーのキュビカルクワッドキット、3500円位でした、懐かしい方もおられるでしょうか)
台風で何度も壊れましたが、根気よく作り直したものです。当時は家の手伝いなど殆どしませんでしたが
好きなことはよくやったものですね。そんな時には仲間達が実によく集まってくれたものでした。
自作のアンテナ(キュビカルクワッド)
何年も交信していると自然に親しい外国の友人ができます。外国に親しい人が
いるというのは、一つの目に見えない財産ですね。交信した外国の方が我が家を
訪問したことがありました。
しかし現在は、夫婦、子供、孫達との関係を優先し無線ばかりに熱中出来ませんが少年時代の科学
する心は今も熱いものがあり、電信の楽しみというのは今でも大きな楽しみの一つです。
当時、学生の身分では高価で入手出来なかった憧れの無線機を入手し、自己満足ですが楽しんでおります。
結構高額でしたがメンテナンスをしながら愛用しております。セパレート式でいかにも無線機らしいですね。
往年の憧れのリグ FL-101 &FR-101
また、50歳半ばから和文電信を再開し7メガで楽しんでおります。
モールスは気分転換や頭のリフレッシュおよびボケ防止に最高と思うようになったの年齢のせいでしょうか?
現在はオールドカメラ・写真撮影・パソコン(HP作り)・水泳・たまのゴルフにも精を出し、気持ちはいたって若い
つもりですが、周囲からは「おたくおじさん」で通っており・・・いやはやなんともです。